作品紹介

描かれたポーランド―マテイコとマルチェフスキ
Depicted Poland – Matejko and Malczewski

前世紀転換期は、ポーランド文化において芸術的活動が極めて活発になった時代でした。18世紀末に地図から姿を消した祖国ポーランドの自由や独立について公に語ることが出来なかった時代に、暗喩的ないし象徴的にそれを代弁する芸術は特別な役割を担っていました。19世紀後半に活躍し、ポーランド美術史上最も著名な画家であるヤン・マテイコ(1838-1893)は、ポーランドの歴史的事象を英雄的に記念碑的スケールで描き出し、人々の祖国への想いを鼓舞しました。一方、マテイコの次世代にあたるヤツェク・マルチェフスキ(1854-1929)は、同じ歴史的事象をむしろ自身や同世代の人々の心情とリンクさせることで、過去の物語に現代の息吹を与え、〈若きポーランド〉を代表する画家となりました。

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ヤン・マテイコ
《「スタンチク」のための習作》

1861年、油彩/カンヴァスの上に紙、ワルシャワ国立博物館

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ヤン・マテイコ
《1683年、ウィーンでの対トルコ軍勝利伝達の教皇宛書簡を使者デンホフに手渡すヤン3世ソビェスキ》

1880年、油彩/カンヴァス、クラクフ国立博物館蔵

マテイコはポーランドを代表する画家のひとりとして知られ、ポーランドの歴史的場面を大画面に描いた歴史画を多く残しています。本作の主題は1683年の第2次ウィーン包囲です。ポーランド国王・リトアニア大公のヤン3世ソビェスキはオスマン(トルコ)軍の包囲を撃破し、ヨーロッパに勝利をもたらしました。伝書を使者に渡す国王、戦いを終えた将軍や兵士たちの表情や動きが劇的に表され、習作ながらマテイコの巧みな群衆描写が光る作品です。

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ヤツェク・マルチェフスキ
《画家の霊感》

1897年、油彩/カンヴァス、クラクフ国立博物館

マルチェフスキはクラクフ美術学校でマテイコに学び、ギリシャ神話やポーランドの歴史を題材とした作品を象徴主義的な表現で描きました。また、自画像はもちろん、他のジャンルの絵画にも自らを登場させた作品が多いのも特徴です。本作の左側にもキャンバスに向かう画家自身が描かれます。対する右側の女性像はポーランドの擬人像であるポロニア。憂いを湛えた表情は、ポーランドの置かれた苦しい状況を反映しているかのようです。

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ヤツェク・マルチェフスキ
《白い盛装の自画像》

1914年、油彩/カンヴァス、クラクフ国立博物館


自然と芸術―魂の情景
Nature and Art – State of the Soul

〈若きポーランド〉の自然表現には、象徴主義的傾向が顕著に認められます。自然は常に、人間の精神状態と深く結び付き、その気分によって解釈され描写されました。一見写実的な風景描写は、霧がかかった薄暗い秋の風景やメランコリックな冬景色のような当時好まれたモティーフの選択に、画家自身の気分を織り込むことで、彼らの「魂の情景」を写すものとなっています。水や空のように自然の力が主題となる場合も、それに相応しい気分や象徴の連想と結び付いて、儚さや永遠性、愛といった普遍的イメージを想起させるさまは、まさに音楽的ともいえます。そして、自然の伝統的写実的表現とは異なるこのような表現を可能にした背景には、当時の彼らに大きな影響を与えた日本の浮世絵の存在がありました。

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ヴォイチェフ・ヴァイス
《ケシの花》

1902年、油彩/カンヴァス、クラクフ国立博物館寄託

鮮やかな色彩で神話やポーランドの風景を描き、のちに表現主義に傾倒したヴァイスはグラフィックの分野でも活躍し、ウィーン分離派のメンバーでもありました。ケシの花咲く草原が瑞々しく描かれている一方、その中に描かれた二人の裸の人物は何かを訴えるような、苦しげな表情を見せています。風景画の中に何らかの象徴的モティーフを描きこむ傾向は、〈若きポーランド〉の絵画全体に見られます。鮮やかな花園に一見異様な裸体像が組み合わされた本作はその代表といえるでしょう。

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ユゼフ・メホッフェル
《クラクフ美術友の会建物フリーズ装飾「自然と芸術」のためのデザイン》

1901年、水彩/カンヴァスに糊付けされた紙、クラクフ国立博物館

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ヤン・スタニスワフスキ
《水辺のポプラ》

1900年、油彩/カンヴァス、クラクフ国立博物館

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ユリアン・ファワト
《冬景色》

1915年、油彩/カンヴァス、クラクフ国立博物館

ファワトは特に風景画を得意とした画家で、日本や中国への旅行を通して東洋の芸術も吸収しました。また、マテイコの後任としてクラクフ美術学校の校長に就任し、後進の育成にも力を注ぎました。雪景色はファワトが繰り返し好んで描いた主題のひとつで、広重の浮世絵からの影響も見られます。画面の大部分を占める白い雪には、眩しい太陽光の反射が巧みに表され、ファワトの鋭い自然への観察眼が伺い知れます。

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スタニスワフ・ヴィスピャンスキ
《夜明けのプランティ公園》

1894年、油彩/カンヴァス、個人蔵(クラクフ国立博物館寄託)

ヴィスピャンスキは画家、詩人、劇作家、デザイナーなど多方面でその才能を発揮した人物です。本作で薄暗がりの中、儚げに描かれているのはクラクフの象徴・ヴァヴェル城であり、ポーランドのロマン派詩人クラシンスキの詩『夜明け前』に霊感を得たとされています。また、装飾的な木々の枝越しにかつての王宮を見据える構図には、北斎などの浮世絵の特徴である、草木越しに風景を描くことで対象を際立たせる「すだれ効果」が認められます。


日本との架け橋:フェリクス・"マンガ"・ヤシェンスキ
Acting as a Bridge to Japan – Feliks "MANGGHA" Jasieński

クラクフと〈若きポーランド〉を考える際、忘れてはならないのがフェリクス・ヤシェンスキ(1861-1926)の存在です。作家で美術批評家でもあった彼は、東アジア美術とりわけ日本の美術工芸品コレクターとして知られています。同時に彼は、〈若きポーランド〉の芸術家たちと親密に交流し、作品購入などを通して常に彼らの活動を支援しました。北斎に心酔し、自ら「マンガ」と名乗るほどに、浮世絵を主とした日本美術を愛した彼のコレクションは、〈若きポーランド〉の人々が直接触れられただけではなく、早い時期から一般にも公開され、1920年にはクラクフ国立博物館に寄贈されました。ここでは、〈若きポーランド〉の作家たちが描いたヤシェンスキの肖像画を通して、彼らの交流の一端をご覧いただきます。

フェリクス・ヤシェンスキ

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ヤツェク・マルチェフスキ
《フェリクス・ヤシェンスキの肖像》

1903年、油彩/板、クラクフ国立博物館

折り鞄あるいは紙挟みを両手で持ったヤシェンスキが堂々と正面を見据え、その後ろには壮年・老年のサテュロスが控えています。サテュロスの頭部から生えているようにも見える白い花をつけた枝は、日本美術からの影響を感じさせます。一方で怪しげなヤシェンスキやサテュロスの表情は変わり者として知られた彼の人物像を想起させ、写実と象徴的表現の両方に長けたマルチェフスキの画才がよく生きた作品です。

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「日本の屏風の前で三味線を持つフェリクス・ヤシェンスキ」

1903-05年、写真、クラクフ国立博物館蔵

フェリクス・"マンガ"・ヤシェンスキはポーランドにおける日本美術の大コレクターでありプロモーターでした。彼がクラクフで開催した展示会はポーランド美術に日本趣味がもたらされるきっかけのひとつとなり、〈若きポーランド〉の画家たちも彼のコレクションを作品に描いています。写真の中の彼は三味線、屏風、刀、花瓶、帯——と多数の日本の品に囲まれ、趣味人・ヤシェンスキの姿を端的に写しています。


IVインスピレーション源としての日本
Japan as a Key Source of Inspiration

〈若きポーランド〉の作品に特徴的な象徴的表現の背景には、当時のポーランドの芸術家たちによる日本美術の受容があります。彼らは、西欧各国に拡がったジャポニスムから知識を得るだけでなく、ウィーンやミュンヘン、パリなどでの展覧会や画廊で作品を実見し、なによりヤシェンスキと彼のコレクションを通して日本美術に対する理解を深めました。着物のような日本の文物を引用した作品や、極端な俯瞰やクローズアップなど浮世絵に特徴的な構図を参照した作品など、霊感源としての日本の顕れ方は様々ですが、いずれにも、独自の芸術を模索する彼らと日本という未知の文化との真摯な対話が感じられます。とりわけ、先駆的女性画家のオルガ・ボズナンスカ(1865-1940)の作品には、日本との直接的ないし間接的対話の多様性が顕著にみとめられます。

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レオン・ヴィチュウコフスキ
《日本女性》

1897年、油彩/カンヴァス、クラクフ国立博物館

〈若きポーランド〉を代表する画家のひとりヴィチュウコフスキは、パリで印象派に触れたことで写実主義から外光派的な画風へと舵を切ります。本作の粗めのタッチで表された着物の柄や影の落ちた女性の表情は、そうした西欧の動向を取り入れたものといえます。女性が纏う赤い着物や青い帯はヤシェンスキのコレクションにあったもので、他の画家も同じ着物と帯を描いています。当時のポーランドの日本趣味と、その中でのヤシェンスキの果たした役割を物語る作品です。

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ヴワディスワフ・シレヴィンスキ
《髪を梳く女》

1897年、油彩/カンヴァス、クラクフ国立博物館

シレヴィンスキは〈若きポーランド〉を率いた画家のひとりであり、ゴーガンをはじめ、パリで出会った芸術家たちから影響を受けました。鏡を見ながら化粧をする女性は歌麿が得意とした主題ですが、本作も歌麿やドガの《髪を梳く女》に倣ったものと思われます。また大胆な構図は、単なるモティーフの模倣ではない、日本美術の消化の証左といえます。髪の毛と背中の描く緩やかな曲線や、鏡越しに見える女性の表情も妖艶な作品です。

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オルガ・ボズナンスカ
《菊を抱く少女》

1894年、油彩/厚紙、クラクフ国立博物館

クラクフとミュンヘンで学び、後にパリで活動し、印象派を吸収したボズナンスカは、当時最も成功した女性画家のひとりでした。青や灰色、白といった色彩を多用し、人物の内面を表現するかのような陰りを帯びた絵画の数々は当時から高い評価を得ていました。本作でも少女の服や影の落ちた壁の沈んだ色調に対し、ひときわ明るい白菊や少女の可憐な表情が目を引き、ボズナンスカの特徴である巧みな内省的表現を見て取ることができます。

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ユゼフ・メホッフェル
《百日草》

1911年、油彩/カンヴァス、ワルシャワ国立博物館


Vフォークロア―国民様式の色彩豊かな故郷
Folklore – National Style inspired by a Colourful Homeland

ポーランド独自の芸術を模索する中で、人々を魅了したのが、郊外の農村や地方の素朴かつ荘厳な風景そして色彩豊かな文化習俗でした。クラクフ近郊のブロノヴィツェ村には、ヴウォジミェシュ・テトマイェル(1861-1923)が移り住み、外光派の画家たちも頻繁に訪れて、自然のリズムと共に生きる人々とその生活を描いています。〈若きポーランド〉の人々は応用芸術の刷新にも熱意を傾け、地方の伝統的な様式や文様を取り入れた新たなデザインの家具やテキスタイルなどを制作しました。スロヴァキアとの国境にあるタトリ山脈麓のザコパネに特徴的な木造建築形式や、遙か東方に位置し現在はその大部分がウクライナに属するフツル地域の異国情緒を感じさせる祭礼儀式やその衣裳も、重要な霊感源となり数多くの作品が生まれました。

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スタニスワフ・ヴィスピャンスキ[デザイン]/ザヨンチェク&ランコシュ社、ケンティ[製作]/ヘレナ・チェレムガ[刺繍]
《刺繡のあるタペストリー(ペルメット)》

1904年、ウール、平糸刺繍、クラクフ国立博物館

〈若きポーランド〉の応用芸術には、先行する英国のアーツ・アンド・クラフツの思想的影響や同時代のウィーン分離派との相互関係が見られるほか、ポーランドの伝統的な文様や建築に基づく要素が多く取り入れられています。ヴィスピャンスキのデザインによるこのテキスタイルには農村や山岳地域に暮らす人々の衣装の図案が参照されており、椅子にもザコパネ地方の建築の意匠が取り入れられています。

スタニスワフ・ヴィスピャンスキ[デザイン]/アンジェイ・シドル[製作]
《椅子:ゾフィア&タデウシュ・ジェレンスキ夫妻邸の食堂のための家具セットより》

1904年、クルミ材、プラタナス材、彫刻・彩色、クラクフ国立博物館

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カジミェシュ・ブジョゾフスキ[デザイン]/カロル・クラニコフスキ・リトグラフ製作所[印刷]
《ポスター「内国製品展覧会・見本市、ザコパネ」》

1905年、カラーリトグラフ/紙、クラクフ国立博物館

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テオドル・アクセントーヴィチ
《ヨルダンの祝祭》

1895年、油彩/カンヴァス、ワルシャワ国立博物館

三国分割下のポーランドで、自らの民族的アイデンティティの拠り所となったのは地方や農村に残る伝統文化でした。現在のウクライナとルーマニアとの国境にまたがるフツル地域の文化もそのひとつであり、芸術家の霊感源となりました。作中では民族衣装を着た人々が、ヨルダン川でのキリストの洗礼を記念する様子が描かれています。また背景左上にはフツル地域の伝統的な木造教会が描かれ、画家たちが希求したポーランドの伝統文化像が色濃く表れています。

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ヴウォジミェシュ・テトマイェル
《芸術家の家族》

1905年、油彩/カンヴァス、クラクフ国立博物館蔵

テトマイェルは、ポーランドの民族的伝統を重視した画家です。特に古き良きポーランドを残す場所としてクラクフ近郊の農村ブロノヴィツェに注目し、その風景や生活を鮮やかな色彩と明快なタッチで描いた作品を多く残しました。また、当地の彼の自宅で行われた家族の結婚式は、ヴィスピャンスキの戯曲『婚礼』のモデルにもなりました。ブロノヴィツェの豊かな緑の中佇む画家の妻子を描いた本作には、理想化された素朴な農村像が投影されています。

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スタニスワフ・ヴィトキェーヴィチ
《冬の巣》

1907年、油彩/カンヴァス、クラクフ国立博物館

タトリ山脈は現在のポーランドとスロヴァキアの国境を成す山脈です。画家・建築家・芸術理論家として活躍したヴィトキェーヴィチは、タトリ山脈の麓に位置するザコパネに特有の木造建築形式である「ザコパネ様式」を生み出した人物として知られます。タトリ山脈やザコパネもポーランドの原風景として芸術家を惹きつけた対象でした。作中では青空の下、冠雪したタトリ山脈が悠然と聳え立っています。


近代に向かって―新たなポーランドの誕生
Toward Modernity – Birth of New Poland

1905年の「血の日曜日事件」を発端としたロシア第一革命は、ポーランドの人々に衝撃を与えると同時に、彼らの眼を社会問題に向けさせ、独立回復へ向けた機運を高めることになりました。そして1918年、第一次世界大戦の終結をもって、ポーランドは念願の独立を果たします。その昂揚しつつも不確実な気分は、本章のマルチェフスキやゾフィア・ストリイェンスカ(1891-1976)の作品にも明らかです。しかしそれは同時に、マテイコや〈若きポーランド〉の芸術家たちに共通していた、失われた祖国のアイデンティティの表現という芸術の使命が終焉したことを意味しています。


本展の最初と最後の章の冒頭では、ポーランド史の著名な宮廷道化師スタンチクを描いた作品を紹介します。過去と未来を想って憂うその姿は、困難な状況であっても、現在と真摯に向き合うよう我々に訴えかけるかのようです。

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レオン・ヴィチュウコフスキ
《スタンチク(降誕祭の人形劇)》

1898年、油彩/カンヴァス、クラクフ国立博物館

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ヤツェク・マルチェフスキ
《ピューティアー》

1917年、油彩/カンヴァス、クラクフ国立博物館

ピューティアーはデルフォイの神託所に仕えたアポロンの女神官です。彼女は岩の亀裂から噴出する蒸気の力を借りて半狂乱で預言を届けたとされ、本作品でも足元から白い煙が立ち上る様子が描かれています。しかし、彼女の表情は狂乱というよりも決意に満ちたように遠方を見据えています。第一次世界大戦の最中、ポーランド独立前夜に描かれたこの作品は、神話主題を借用し、ポーランド復活の神託を告げているかのようです。

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